イスラエル旅行 |
彼らの家はテルアヴィブの空港から北へ車で80分、ヨルダン川西岸地区からそう遠くない場所にある。
パレスチナ自治区に近いため、町の周りはフェンスで囲まれていて、主要道路の鉄扉は携帯電話から登録番号を押すことで
開く仕組みになっている。ヨルダン川西岸に近い町はたいてい同じような仕組みになっているそうだ。家についたのが13日の2時頃。「この部屋がこの家の中で一番安全」という部屋で眠らせてもらった。 なるほど、扉は鉄で重くて、窓が小さい。ここから600mと離れていない場所で、パレスチナ人に襲撃されたという家の 話はあとから聞いた。朝、子供たちの声で目が覚める。 ![]() 子供は4歳の男の子と2歳の女の子。男の子がぴーたと私のためにオレンジジュースを作ってくれた。 絞りたてのオレンジジュースだ。ここにはフルーツも野菜も豊富にある。灌漑がさかんで、オリーブ畑や ハーブの畑が一面に広がっている。グレープフルーツもそこらじゅうになっている。豊かな国、それが 第一印象だ。ちょうど2週間前に花が満開だったそうだが、それでもまだあちこちに花が咲いていた。 そして既に夏を思わせる新芽の緑が青々としてた。6月頃から、あたりは茶色く乾燥し、砂漠の色合いが 濃くなるそうだ。この日、キリストが山のてっぺんからとびおりて、そこから数十キロも離れている湖に飛び込んだ という山や、キリストがtransformしたという場所をハイキング。 ![]() 丘の上からはキブツが見渡せる。ヨルダンやシリアもすぐそこだ。こうしているととても平和で、ここから数十キロ しかはなれていないところで人が争い、亡くなっているなんて思えないぐらい平和だった。 イスラエルでも当然ユダヤ人居住区と、パレスチナ人(アラブ人)居住区が分かれている。家のつくりが少し違う程度で、 そうといわれなければ私は気づかないだろう。 道路のサインは全てヘブライ語、アラビア語、英語で書かれている。 誰もが3ヶ国語を操れるわけではなく、学校でお互いがお互いの言葉を習うということもないようで、 ユダヤ人でアラビア語を話せる人は少ないそうだ。さらに、最近多いロシアからの移民はほとんどヘブライ語を 話せないという。それでは同じユダヤ人同士でも争いが起こって当然だろうと思う。
15日快晴。パレスチナ自治区が見渡せる丘の上で60人の友達をよんで、二人の子供の誕生日
パーティをした。私は60人分のまき寿司とおにぎりを作った。ここで、いろんな人と話をしたけど、
みんなオープンマインドで、気持ちよく話しができる人たちばかりだった。あたりまえだけど、
一部の過激派を除いては、平和を望んでいる人がほとんどなんだと思った。16日朝、タクシーに乗って空港へ。飛行機がテルアヴィウを発ち、パリに到着したときは 本当にほっとした。3日間、友達が普段平和に暮らしている場所で、充実した 楽しく和やかな時間を過ごした。
でも、心のどこかでいつも緊張していた。それは私がイスラエルのことを良く知らないからだろうか?
イスラエルに住んでいる人たちが、私のように毎日緊張して過ごしているはずはないし、過ごせるわけがない。
彼らはうまくやりすごしているんだろう。短期間でいろんなことを学んだ。何よりも、友達が愛するイスラエルを、ほんの少しでもこの目でみることが できてよかった。 いつか、町を囲む、あのバリケードがなくなる日がくるのだろうか?あの、主要道路を封鎖する鉄の扉が なくなる日がくるのだろうか?もちろん、そう、願いたい。 (2008.3.27) |